ホームコンサート
昨日は、富士山の麓のとあるお宅でホームコンサートでした。
終演後、ご婦人が近寄っていらして
「何百年も前に悩み苦しみ、それでも頑張った
ベートーヴェンさんの音楽が、こうして今弾かれて……
…とてもよい供養になったと思います」
と静かに拝んでいかれました。
「供養」(!!!!!)
(O_O)
その発想はなかったです…
そして、よいご供養になっていたらよいなぁ… 日々精進いたします……
クリスマスツリーのあるとっても素敵なお宅でした。
(許可をいただいたので、写真を掲載します♪)
芸大で日本画専攻で同期だったというご夫婦。
たくさんの絵があちらにもこちらにも飾られていました。
お二人のやさしい雰囲気と、センスのよさで、
気持ちがほっと和らぐ素敵な空間。
夢のような時間でした。
沢山のお客様で、後半は、湿気と熱気で調弦が下がってしまい、
楽器も鳴らなくなってきて、申し訳なかったですが、、
こればかりは、如何ともし難い。
名器ベーゼンドルファーも、鍵盤が重たくなって
上がらなくなったそうです。楽器って、生きてるなぁ。
だからこそ、楽しいのですが(^-^)
帰りの車のなかで、絵の制作のお話などを聞き、
とても興味深かったです。師匠からどのように
指導を受けたのかとか、精妙に描かれても面白さがないと、だめ、
その「面白さ」って何でしょうねぇとか…
守破離という言葉がありますが、絵の世界の話を聞いていると、
いわゆる型や技を学んでそこからいかに離れるかという
音楽の世界とは、すこし本質的に違いそうでした。
音楽は、何よりも小さい頃から学ぶものだしたなぁ。
絵をみるのは、昔から大好きだったのに、最近行ってなかった行きたいなぁと。来年の若冲展は、絶対見逃せない。。。楽しみすぎる。
http://jakuchu2016.jp
今日の言葉* 「樹というのは、これもそれが私に及ぼす効果の総体なのです。 私が観ている樹を素描することが問題なのではありません。 単に樹としてだけではなく、ほかのあらゆる種類の感情と関連して 私の精神に働きかけてくる対象を私は目の前にしているわけです。 樹を正確に模写するとか、慣用語法で葉を一枚一枚素描したりすることで 私は自分の感動を解放するわけにはゆかないでしょう…… むしろ、自分を樹と一体化させてはじめてできるのです。 私は樹と似ている物を創造せねばならない。」
(アンリ・マティス)