横尾忠則さんの授業。
この横尾忠則さんの授業すごいなー。あっぱれ。 「守破離」にも似たものを感じる。
わたしも、日々生徒さんたちと向き合うなかで、 ひとりひとりが奥底に持っているものを 引き出せたらと思っているけど、なかなかどうして。
レッスンをしていると、うす暗がりのなかで、 電気のスイッチを一緒に探しているようだ と思うことがある。「ハッ」と驚いたり、気付いたり、 感動して、からだ全部で体験すると、パチンとスイッチがつく。 頭で理解したときと、体で理解したときの違いは、明らか。 ガラッと変わる。明るくなった部屋では、
見えてなかったものが、見えてくる。
部屋が廊下や部屋につながっているように、 ひとつ分かると、また分からないことがたくさん増える。 そうやって、赤ちゃんが、いろんなものを見たり、
舐めたり触ったりしながら、未知の世界で、感覚を発達させて いくように、音も身体の感覚も紡いでいく作業。。
果てしないし、終わりがないけれど、そうやって 世界が広がっていくのも、お手伝いするのも、楽しい。 楽しいからやめられないとまらないかっぱえびせん。
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通常の授業で、こどもたちは、 「みんなおんなじ」ような絵を描いていた。 ひらべったい構図、 お人形のような人物たち、 空は青、唇は赤、ひまわりは黄色、 といった「お約束」の色づかい。
横尾忠則は、 事前にこどもたちに連絡して、 「自分の好きな絵」を1枚もってこさせていた。
こどもたちは、もっと「漫画」とか、 「キャラクターもの」とか持ってくるかと思ったら、 意外にも、「絵画」っぽいものを持ってきていた。 ピカソを持ってきた小学生もいた。
横尾は、こどもたちに、 まず、持ってきた絵を忠実にうつさせた。
つまり「模写」をさせた。
そのあと、こんどは、何も見ないで、 「記憶」で、同じ絵を描かせた。
記憶力が良いこどもたちは、 もとの絵を見なくても、 すいすいと再現するかとおもいきや、
もとの絵を、あえて改変して描きたい、 という子が、つぎつぎあらわれた。
もとの絵では、2匹だった動物を 3匹に増やしたいとか、 もとの絵とはちがった色で塗りたいとか、 こどもたちは次々主張し、 そのたびに、横尾はそれを快く許可し、 奨励していった。
結果、記憶ちがいではなく、 こどもたちが、記憶していた原典に 意図して改変を加えた絵が つぎつぎと描きあがった。
クラス全員の絵をならべてみる。
以前の画一的な絵がならんでいたのとは まったく違う風景がそこにあった。
クラス全員が、ひとりひとり、 まったく違う、オリジナリティあふれる絵を描いていた。
模写だけをクラス全員ならべたものより、 「記憶」で描かれた絵たちは、 もっともっと個性が炸裂していた。
授業がすんだとき、 こどもたちは、絵を描くことも、 横尾忠則も、大好きになっていた。
http://www.1101.com/essay/2011-11-09.html
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今日の言葉*
心から一歩も外に出ないものごとは、
この世界にはない。 心から外に出ないものごとは、
そこに別の世界を作り上げていく。
村上春樹