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迸る炎

7月の終わりから、8月の頭にかけて

長野の蓼科に行ってきた。

小林先生と、加藤えりなさん。

(えりなさんは、大切な友人であり、尊敬するヴァイオリニスト。

 9月にリサイタルがあります。安定したテクニックと歌心、ヴァイオリンへの愛情が

滲み出るような演奏で、ため息がでます。超オススメコンサート!)

指揮者の小林研一郎先生のオーケストラ合宿。蓼科高原みずなら音楽祭

大学時代に、幸運にも学生オーケストラで、小林先生のタクトで

熱き指導を受けていたが、それ以来お会いすることはなく。

大変楽しみに出かけた。

「炎のコバケン」と呼ばれる先生からは、昔と変わらず、

迸るエネルギーが、まさに火の粉のように飛んできた。

この音楽祭には、視覚障害者の方も参加されていた。

ヴァイオリンセクションにもいらして、少しお話しを聞いた。

「わたしは、生まれた時からではなく、成人してから視力がなくなったため、

点字楽譜を読むことができないのです。だから、誰かに自分のパートを

弾いてもらって、その録音を何度も聞いて、弾いて覚える(!)

それから、ボーイングについては、さらに、ダウンアップ・・・を

口頭でさらに録音してもらい、それをさらに暗譜(!!!)」

ひえーー。。。。

とてつもなく忍耐の要る作業であることは、間違いない。

「それでも、オーケストラのなかで弾くことの喜びには

なににも代え難い」

とても明るいお声で、そう仰っていた。

音楽は、ナマモノだから、もちろん、リハーサルでも、

毎回微妙に間合いも違うし、本番でももちろん違う。

私たちは普段、オーケストラで演奏しているとき、

耳からはもちろんだけれども、目からの情報も、

かなり重要だ。指揮棒のわずかな動き、はたまた

指揮者の眉ひとつの動きで、音が変わることもある。

たとえ、後ろの方の席に座っても、指揮者とセクションのトップが

見える位置を皆、なるべく死守する…というよりも、

皆がきちんと見えるように、お互いに気を使って、

椅子を微妙にずらし、座る位置を決める。

楽譜を見ていても、視界のどこかには、かならず

指揮者が入っている。車の運転と一緒で、上手い奏者ほど、

周りがよく見えている。バックミラー、フロントミラー、

サイドミラー。いろいろなところに視点を散らばせながら、

空間を広く把握する。見ることは、思いのほか大切だ。

何十人という演奏者で成り立つオーケストラが、

ひとつの方向に向かって音楽を作り上げていくとき、

ものすごい情報がやりとりされ、その場で反応しあう。

そのそこで生まれる音、そして息づかいや、空気、気、

エネルギーのようなものを、目が見えない方々は、

わたしたち以上に、全身全霊で感じていらっしゃるのだろう。

それはおそらく並大抵のことではない。測り知れない。

もうひとり、フルートにも目の見えない方がいらした。

本当に本当に美しい音色を出される方で、

美しい心の内が、音となって、キラキラと

瑞々しく輝いていらした。素直に音だけで感動した。

とにかく、お二人のひたむきな姿に、脱帽だった。

なにかに不自由であることは、一方で、果てしない自由を

生むのかもしれないとも思った。なにか見習うべきものが

あることは確かで、その姿や、音に、ハッとさせられることが多かった。

ものすごい曲数のリハーサルと本番の合間をぬって、夜は室内楽大会。

私も、メンデルスゾーンの弦楽八重奏を演奏した。

2月にメンデルスゾーンとエネスコの八重奏の本番をやったから、

それを思いだしたりしながら、とても楽しかった。

ブルームーンをみんなで見たり、

新しい出会いがあったり。

自分が楽器を演奏していること、

音楽を続けていることの意味を

改めて考えたり。

音楽祭全体を通して、小林先生ご夫妻の

パワフルな愛が私たちに伝わってきて、

ジンジンした。音楽の力、人の力を、たくさん

感じた、素晴らしい4日間だった。

今日の言葉*

世間を楽しませているから 自分も楽しむべきだっていうんじゃなくて、 楽しませる域にいることが根本であって、 一番凄いことなんだ。それ自体が贅沢であってだな、 それに加えて自分が贅沢するってのは余分なことなの。

(北野武)


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